資料は、史料は、取っておきましょう
BCの時代から”人は見える物を見るのではなく、見たい物しか見ないのである”と言った人もいるくらい解りきっていたのです。その為何度でも同じ失敗を繰り返してきました。ですから同じ失敗を繰り返さない唯一の方法は、見える物は全て見ることなのです。見たくない物ほど、しっかり見なければなりません。
過去の歴史を丁寧に紐解き、あるがままの事実の流れを知らなければなりません。全て自分の為なのです。つまり過去を、原因から結果に至る推移をきちんと自分なりに解釈し、把握することが、今日から明日、今から将来を誤らないためには絶対に必要なことでしょう。その為にも資料、史料は残して置かねばなりません。
レコードがCDになろうが、CDがMDになろうが、MDがアイポットetcになろうが、残して置かねばならないのです。レコードには入っているが、CDには無い、CDには入っているがMDには無い、と言った状態にしてしまえば、結果的に若い人は古い曲を聞けなくなってしまいます。映画演劇もそうですが、、。ヒットチャート1位の曲は残るでしょうが、それ以下の曲や人は忘れ去られます。
一番顕著に現れた大人と子供の溝、隔たりの事例は音楽でしょう。義務教育、特に小学生の音楽教科書を開いて、その親達は幾つ知った曲が有るでしょうか。
親子位の年の差で、子供の教科書が理解できなくなるのです。何しろ知っている曲は殆ど皆無ですから。
若者も年輩者も同じ文化を共有出来る社会の素晴らしさ、が全く無視されているのです。昨今の歴史の軽視は、この事を証明しているのでしょう。
古い文化を知っている人と、知らない人の間に、溝や壁が出来るのは当然でしょう。
音楽以外の事、およそ文化と名の付く全ての事がそうなのでしょう。数々の社会問題、青少年事件の殆どは、この事が遠因になっている為と言えるでしょう。フランクシナトラやプレスリー達を、ジョンフォードや黒沢明達、を知る必要が有るのは、1940年代以前に生まれた我々年輩者ではなく、確実に将来日本を背負って起つ若い学生さんや、子供達なのです。
意見や批判を持たない、持てない人の多くが既に教師になっていますから、子供に意見を持て等とは言えなくなっているのです。この結果今日も明日もそれ程変わらないと思い込む人が多くなります。つまり考えないのです。今日、風邪でで仕事を休んでも明日、給料がもらえるような人、カレンダー以外に有給休暇がしっかり取れるような人、あんまり物は考えなくなるのです。誰でも、苦労していない人ほど、仕事のことしか知らない人ほど、明日は今日とそれ程変わらない、と思い込む傾向が強くなるのです。公務員の先生に一番多いのです。
マゾっ気武士道
”敵艦見ゆとの報に接し、連合艦隊はこれを撃滅せんと出動す、本日天気晴朗なれど波高し”。こういう電文です。しかし歴史を知っている人ならもうお解りだと思いますが、天気晴朗で波が高いから日本は勝ったのであって、もしも波が低かったら、どちらが勝ったかは解らなかったのです。この名文は、あらゆる条件の下を想定して行なってきた”血のにじむような訓練の成果が発揮できるぞ”と言う意味なのです。
ロシア(バルティック)艦隊は長い間の航海でろくに訓練もできず、例え天気晴朗で、日本艦隊が良く視認できても、波が高くて船が揺れてしまい、照準も定まりにくいので敵の大砲は、当たらないでしょう、と言う意味なのです。連合艦隊の方は血みどろの訓練を長期間繰り返していますから、相手がよく見えるのなら、船が揺れても、正確に撃つことが出来ますよ、と言う意味なのです。
まさに血のにじむような訓練の結果、大いなる自信と確信を持って書き上げた電文でした。まあ、昨日と今日の違いが、血のにじむような訓練などしたことの無い、ノホホン育ちの人には感じられないのです。ボーっと1-2年過ごしてしまってから、世の中の変化に気が付き、慌てて対策を講じます。
全て手遅れになり今度は大変な苦労をする羽目になるのです。
帝国海軍機動部隊の終焉、1944年6月、マリアナ沖海戦
この海戦はサイパン島を取られまいとする、日本と、取ろうとするアメリカの間で戦われました。41年12月以来、2年半に及ぶ激戦の結果既に国力も尽き果てかけた日本は、最後の博打に出ました。歴戦空母、瑞鶴、翔鶴、最新鋭空母、大鵬、改装空母、千代田、準洋、飛揚他二隻、計八隻。つまりこの時点での日本空母部隊の全部でした。その搭載機は、約400機。
本当なら、500機ぐらいは積めるはずでしたが、パイロットが揃えられないのです。開戦の時は世界ダントツ最強、最多を誇った海軍航空隊も、この頃には、400機揃えるのがやっとだったのです。名人達人パイロットは、殆ど戦死していて、空母からは飛び立つのがやっと、と言う程度の技量のパイロットが、60%もいたのです。つまり攻撃には行けるけど、空母には帰れないので、攻撃後はサイパン島の陸軍基地に帰る、と言う作戦でした。
40%の帰ってこれるパイロットは、空母に戻り、魚雷を積んで再度攻撃に向かう事になります。帰れなくてサイパン島に向かった攻撃隊は、そこで陸軍から、爆弾を貰い再度攻撃すると言う作戦でした。開戦以来日本はパイロットを、使い捨てしていたのです。それは、、、、、
日本機の性能、当時の常識の範囲をはるかに超えた航続力(長距離飛行能力)、さらに戦闘機の格闘性能(抜群に小回りが利きます)、例を挙げるなら、海戦劈頭のフィリピン、クラークフィイルド基地やスピック基地の攻撃は、台湾から行ったのです、が当時の常識では、台湾からフィリピンへ飛んできて、さらに空襲をして、戦闘機と空中戦を演じて、そして叉途中給油もせずに、帰って行く、等と言うことは信じられなかったのです。
開戦劈頭の、マレー沖海戦もそうでした。まさか台湾や、サイゴンから、無着陸、無給油で飛んでくるなどとは考えていませんでした。だからイギリスの二戦艦は味方機の援護も受けずに、のこのこと出てきたのです。攻撃されても、近所に空母がいると思い込み、当てずっぽうな海上を必死でいもしない空母を捜索していたです。これらの性能はひとえに、軽さの追求の結果でした。同時代の戦闘機、イギリスのスピットファイアー、アメリカのグラマンF4Fドイツのメッサーシュミット109等と比較しても、日本の零戦21型は、半分か若しくはそれ以下の重量でした。
当時の戦闘は先に敵の後ろに着いた方が勝ちですから、空中戦の最中にひらりひらりと牛若丸のように、互いに敵の後ろを狙って戦うのです。この戦闘法は軽い方が断然有利になるからです。その為日本機の機体のの芯になる、柱には、全部丸い穴が開けてあるのです。穴の分だけ軽くなります。熟練したパイロットの場合、非常に有利になりますが、
この頃には、大体戦死していて、殆ど、未熟なパイロットばかりになっています。空戦や訓練の最中に、少し無理をすると、機体が折れてしまうのです。熟練したパイロットなら絶対しないような操作も仕方無しにやってしまいます。これで随分死にました。もっともこの技術、現在も航空機のみならず、自動車や船舶、ありとあらゆる分野で生かされ、軽量化に貢献していますが。。。
さらに、これも機体を軽くする為ですが、パイロットの座席の背もたれに、どこの国でも、防弾板を入れるのですが、日本機には入っていませんでした。未熟なパイロットですから、たちまち後ろに回り込まれます。そしてダダダ、、、背中を打ち抜かれて死んでしまうのです。この防弾板、この頃から、さすがに日本も気が付いて入れ始めますが、間に合わないのです、20ミリ機関砲を跳ね返すだけの鋼鉄ですから数を揃えられませんでした。
そしてパイロット自身も、パラシュートを持つことを極端に嫌いました。パールハーバーからミッドウエーまでの半年間は、日本機でパラシュートを積んでいるのは一機も有りませんでした。皆、重くなるのを嫌がったと言われますが、本当のところは、命を惜しんでいるように思われるのが嫌だったのです。
防弾板が無いのも、パラシュートを持たないのも、本当はパイロット達の気質、死を恐れないあまり、生き残る可能性を拒否した生き方、これが潔い生き方であると思い込んでいました。上層部も、これを当然のこととして、注意しなかったのです。
またガソリンタンクも内側にゴムが貼ってないので、機銃弾一発で穴が開き、ガソリンが噴き出してしまうのです。このゴムを貼る技術は、接着剤の研究等で遅れを取っていた日本の化学工業の付け、がパイロットの命の安売り、に大きく係わってしまったのです。
アメリカもイギリスもドイツも、全部ガソリンタンクの内側にゴムが貼ってありますから、機銃弾が数発ぐらい当たっても、外のジュラルミンには穴が開いても、内側は、ゴムの力で自然に塞がりますから、余程大きな穴でない限り、ガソリンはこぼれないのです。
ちなみにこのゴムを貼る技術は、潜水艦にも応用され、音を出さない為には、絶対必要な技術でした、しかしこの技術で遅れを取った日本は、潜水艦戦闘で連合国に敗北します。何しろ防音ゴムが貼ってないですから、物凄い音が海中を伝わってしまうのです。
さらにアメリカは、海戦予想海域に、潜水艦を派遣しておき、味方機が不時着したときには、救助に当たらせるのです。こうして貴重なパイロットを、無意味な死から救ったのです。
日本機の場合は、対空砲火の小さな穴で、ガソリンが噴き出し、燃えてしまいます、それを風で吹き消そうとして、無理な操縦をし、空中分解して、パイロットは空中に投げ出されます。パラシュートを持っていませんから、死ぬだけです。
別のパターンは、未熟ですから、どうしても後ろに回り込まれます。一連射を浴びて、背中を打ち抜かれ、死ぬのです。日本の未熟なパイロットが運良くアメリカ機の後ろに回り込めたとしても、パイロットは殺せません。飛行機は落としても、パイロットは助かり、再び日本機に挑んでくるのです。こうして何度も落とされたり空戦を体験している内に、大変な達人になってますます、楽々と日本機をたたき落とす事になるのです。
日本機を地獄に落とした、アメリカの秘密兵器。
このマリアナ沖の海戦の1年強前から、日本機はアメリカ艦隊の対空砲火の被害が激増するのです。開戦以来、砲員の技術も極度に上がっています。兵士に転勤は有りません。船が沈まない限り、配置換えは無いのです。ですから戦争が長引くに連れて、兵士達の技量も向上するわけです。
しかしそれにしても、対空砲火の被害が物凄くなったのです。大本営はこの事を、パイロットの未熟のせいにしたのです。しかし本当は、、、レーダーでした、この頃(昭和18年夏)になるとアメリカに遅れを取ったレーダーも各艦に装備され機能するようになりました。しかし高射砲弾一発一発にレーダーが付いてる等とは誰も気が付きませんでした。近接信管弾の発明でした。理屈はこうです、、、
日本機が敵艦に襲いかかります。敵は対空砲火で応戦します。この時敵は、命中させなくとも良いのです。日本機の側を弾が通過すれば良いのです。2㍍以内を通過しようとした弾は、機体の金属に感応して、自動的に破裂するのです。かけらでも当たれば、後は、先に書いた理由で、ガソリンを噴き出します。火だるまで一巻の終わりです。
アメリカは巧妙でした。対空砲の周りに通常弾と秘密兵器の近接信管弾の二種類を用意しておきます。サイパン島の方からの攻撃には、通常弾と上空援護の戦闘機で対応します。島がない方からの攻撃には近接信管弾で対応するのです。どちらにしても全機撃墜です。島の方へ向かって近接信管弾を撃たないのは、不発弾が陸上に落ちて、この弾丸の秘密がバレルのを警戒したからです。
案の定、日本は終戦まで、この秘密の弾丸の存在を知りませんでした。こうして昭和19年の夏前には、アメリカ艦隊は、日本攻撃隊の触れることの出来ない、アンタッチャブル、と化していたのです。
そんな事を露とも知らない日本は、味方空母が敵機の攻撃を受けないように、航続力を過信して、敵機の行動半径の外側からの攻撃をしたのです。この戦法をアウトレインジ戦法と言います。
この戦法、パイロットが熟練していれば、凄く有効なのですが。未熟なパイロットばかりですから、編隊を組んで敵艦隊に近づけません。バラバラに、個々に単機、敵に近づくことになり、連係プレーも出来ないまま、バタバタと火だるまになり打ち落とされました。上層部のもくろみでは250機位やられても、150機が戦果を挙げてくれ、空母三隻ないし四隻は血祭りに挙げられるはず、と踏んでいたのです。敵に痛手を与えて、戦意を喪失させ、和平交渉に臨もうとしたのですが、結果は、アメリカには艦船の損害はゼロ、皆無で航空機の損害が3機、日本機は400機の内帰ってきたのは6機、壊滅でした。
その上、出来立てほやほやの正規攻撃空母、大鵬を潜水艦の雷撃で、開戦以来の歴戦正規空母、翔鶴を空襲で、失いました。まあ仮に空母が無傷で残ったとしても、搭載する飛行機も、さらに、最早パイロットがいないのですから役には立ちませんが。
こうして日本機動部隊は壊滅し、サイパン島は玉砕、全滅しました。このサイパンから、直接、B29爆撃機が、日本本土空襲をするようになったのです。今でもアメリカの軍人はこの海戦を、マリアナの七面鳥撃ちと呼んで、無策な日本を笑っています。
こうして開戦半年の、ミッドウエー以来、負け戦が続いているのに、負けることに慣れてしまった軍部は、例え何万人死んでも、今までの戦争が間違いだったと言うよりは、戦争その物を美化する事に躍起になったのです。すでに撤退は転進になっていますが、全滅を玉砕、戦死を散華、護国の鬼になる、等と美化して、滅亡への道を、ひた走ったのでした。
現代社会とて同じ事。毎日毎日少しずつ事態が悪くなっても、悪くなることに慣れてしまい、今までの失敗の数々を棚上げ、さらに美化するのです。親達が大変な苦労をして築き上げた繁栄の時代を、少しずつ削って食べてしまいます。タコが足を食べるように。この苦労をさせたくないために先人達は苦労して繁栄を手に入れたのですが、その繁栄がノホホン人間を作り出してしまうと言う、皮肉な結果です。子供の時、苦労を知らない分だけ、余計に苦労をすることになり、その時初めて世の中は弱肉強食だ、と言うことを、身をもって体験する羽目になるのです。その結果世間の荒波を乗り切れず、人生の敗者になってしまう人も数多くいるのです。
つまり人は一生の間に、皆同じ分量だけ苦労をすると言うことでしょう。
権威の象徴、子供を人質に取った内申書
諸悪の根元、内申書
意見、議論、反論を許さない風潮は学校から社会、企業に広まりました。
教師に反論することを許さず、逆らえば生意気と言う烙印を押され、挙げ句の果てに内申書評価を下げられます。
それでなくとも豊かすぎる時代に生を受け、飽食と使い捨ての中で育った子供達、自ら工夫する事が不要な時代、を過ごしてきた子供達から、議論反論の機会まで奪う結果になってしまったのです。
逆らえば行きたい高校を受験できず、行きたくもない高校に、我慢して通うように強制されます。逆に、良い子にしていれば、内申書評価を上げてもらえ、行けない筈だった高校に入学できるのです。
子供達は意見を言わなくなりました。今ではもはや意見を持たなくなりました。
この子達はやがて社会に出て、上役の言うことをよく聞く忠実な企業人になるのです。いや既になっています。そして順送りにそれぞれが、社長とは言いませんが、部長、あるいは課長、と言った、おやまの大将になるのです。ただしその時まで会社があればの話ですが。。。。
最も今では多少弊害を認める意見も出されるようになり、内申一本槍だった受験現場も他の方法を模索するようになりました。どうして極端なのでしょう、今度は長年培った内申書作成のノウハウを捨てて終うのでしょうか。
内申書が有ってもいいのです。子供を従わす道具にならなければ良いのです。。。。
飼い慣らされた子供達が創る社会
子供の時から、意見や反論を許さない環境です。考えれば考えるほど、意見や反論が出てしまいます。読書などもすればするほど、自己の意見を持つようになります。先生に心から従うためには、本など読むのはいけないことなのです。新聞すら。。。こうして考える事をすっかり忘れた頃、社会人になりました。
部下は上司に意見が言えず、上司は部下の言うことなど全く聞かなくなり、会社の組織、ブランド、資金力、等を自分の金銭欲、名誉欲などを満足させるためにだけ利用するのです。こんな時、彼等が自分以外に唯一信じるのが、都合の良いデータだけがインプットされたコンピュータ予測なのです。無論インプットしているのは、自分の息の掛かった人達なのですが。。。コンピュータは小言を言いません。数多くのお山の大将達が全部これをするのですから、組織が長年蓄えた、信用や資産、と言った実績などたちまち無くなってしまうのです
かって大陸進出を目論み、最後は原爆を落とされ、組織全部を滅亡に導いた軍人や政治家、そして財界の事を忘れてしまったのでしょう。決して一指導者や一軍人が独断でやった訳ではないのです。日本と言う国全部が、そんな風潮になってしまったからなのです。政治家や庶民達は反対意見などは殆ど言わなく、言えなく、なっていたのです。
明治の頃までは、日露戦争の最中でも、反戦デモが許されていました。
与謝野晶子は、君死にたもう事なかれ、、、と新聞で反戦平和の気持ちを投稿しています。現役の海軍少佐の広瀬武雄は、旅順攻撃の最中、軍令部の作戦会議で堂々と、私はロシアが好きです。。。と発言しています。こんな事が平気で許されるほど、国民は寛容で民主的だったのです。古き明治の時代ですら、これ程反論や意見が言えたのです。
こんな時代風潮も20-30年後の1930年代、昭和の時代にはいると、がらりと変わります。もし昭和になって、特に1929年の世界恐慌以降に、反戦や、平和、等と言えば多分逮捕されたでしょう。与謝野晶子も広瀬中佐も監獄行きになったでしょう。
反論や意見が堂々と言えるうちは、その組織は進歩発展、成長を遂げていくのです。言えない雰囲気が漂い始めたら、進歩も成長も止まります。そして反論、意見を言ったために、内申書を下げられるような、モグラたたきをされるようになったときが、やがて来る、破綻と言う終わりの始まりなのです。私の目から見れば既に始まっているように思えます。
ちなみに明治の(日露戦1905)までの陸軍は上官の命令に対して、闇雲に絶対服従ではなかったのです。理路整然と抗すれば、命令を覆す事も可能でした。そう言う組織だったのです。そして組織その物は昭和の陸軍も、明治の陸軍も全く同じ物です。
人間の問題だったのです。日露戦に勝ったため、軍人が驕り高ぶりだしたのです。
江戸時代末期生まれで、維新の動乱をくぐり抜けてきた、猛者達が、この戦争を境に後進に道を譲ったのが、一番大きな理由なのです。坂本龍馬も高杉晋作も、もし生きていればまだ、この時まだ60代のはず、政治家として、軍人として、はたまた財界人として大活躍したでしょう。ですから明治維新から日露戦争までの、明治の殆どは江戸時代に生まれた人が、命がけ、血みどろになって作り上げた時代だったのです。
しかし後を託されたのは、大動乱を知らない、明治生まれの、人達でした。今風に言えば恵まれた環境で育った人と言うことです。子供時代には立身出世だけを願い、ひたすら机に向かい、ガリ勉だけをしてきた人々だったのです。そして40年後に原爆と言うことになるのです。
考えてみれば、本当に便利な道具や組織、方式が、必要なときに間に合ったためしは、人類の歴史の中でも皆無に近いのです。ただ言えることは、個人の能力で、不出来な部分を補って、重宝に使いこなした時もあった、のです。
時々の情勢、必要に応じて柔軟に改良、作り直す、等ともっともらしいことを言い人間の不出来、失敗を構造のせいせいにして、人は責任をとりません。不景気が来るたびに、構造改革を叫ぶのです。構造改革などいくらやったって、人が変わらない限り、何も変わりません。
1980年位から21世紀の現在に至るまで、日本はどうも逆をやっているように思えてなりません。組織やソフトは、手直しして見かけは変化しているように見えますが、取り扱う人間達は同じです。基本的には何ら変わらず、ただ脳味噌が、組織やソフトに合うように変えられているのではないでしょうか。
先生が労働者では無かった時代
今のように内申書が導入されたのは、戦後すぐのことですから、そんなに新しい事ではありません。方式も今問題になっている相対評価です。ただし、取り扱った人が違ったのです。1970年代までは、昭和の動乱期から第二次大戦、戦後のどさくさをくぐり抜けてきた、筋金入りの猛者が教育現場に健在だったのです。ちなみに戦前は絶対評価でした。内申書もほんの一部を除いて、殆どありませんでした。だから戦前の反省で、内申書を採用したのです。
余りにも一発勝負で、日ごろの努力、など結果の前には、一言の弁解も許されなくなっていたのです。人々は結果はともかく、努力して学ぶと言うことを忘れてしまいました。受かれば、通れば、文句はないだろう、と言って、努力しなくなったのです。そして考えなくなって行きました。誰も反論できなくなり、戦争になったのです。行き過ぎた絶対評価の結果です。
ですから敗戦後は、日本全体が、自ら体験した、あの辛く悲しい出来事を、二度と再び子供達に体験させまいと考えていたのです。その為には、結果が全てではなく、途中の努力が大切だ、と考えたのです。戦前の反省です。
言われた通り、疑問を持たず、意見も持たず、反論は許されず、ただ忠実に従う良い子の集団が、やがて権力者の言いなりになって、国や社会、組織を滅亡に導く事を、自らの体験で、知っていたのです。そんな理念、信念を持った先生が大勢いた70年代までは、いかに不出来なソフト、マニュアルであろうと、巧みに使いこなし、弊害などは有りませんでした。議論反論は奨励され、生意気、それに伴う反抗的な不良っぽさは、頭の良さや、既に大人であることの証明となったのです。
いわば格好良さの基本でした。
この事も今思えば、数ある流行風潮の一つだったのでしょうが、少なくとも、子供のままでいたい子供達よりは、早く大人になりたい子供達の方が、専門にしろ、教養にしろ、身に付く物がはるかに多くなるのは、当然でしょう。
そんな教育を心がけた、動乱体験者達が、あらかた第一線を去った1980頃からは、様子が変わってきたのです。後に続いた先生達は生まれたときから、平和と繁栄だけを見て大人になりました。無論親も役人達も。苦しい思いなど体験していませんから、理想やポリシー等という物は、心の内に形成されていなかったのです。いわゆるノンポリ状態の人が殆どだったのです。
明治になってから生まれ、苦労などしたことの無い、ガリ勉軍人が日露戦争の後に台頭し、せっかく苦労して手に入れた平和と繁栄を、40年がかりでぶち壊した事実と、同じ事をやっているように思えてなりません。
ちなみに明治38年、日露戦以降ー昭和20年、敗戦までの40年間に、日本のしたことで、世界に向かって自慢できることは、多分一つも無い筈です。
年寄りが外国人に、事変事件戦争の、動機や結末を聞かれても、恥ずかしくて、みっともなくて、本当のことは答えられません。ただニヤニヤして、その場を繕うだけです。
若い人が、外国人に同じ事を聞かれても、出来事そのものを知らないので、全く答えられません。むしろ外国人に、日本の歴史を教わる羽目になるだけでしょう
結局、みっともない事や、隠さなければならない事しかしなかったと言うことなのです。
時代は違えど子供時代の育ちのよく似た人達。崇高な理想や信念を持たず、自分の事だけしか考えない、身勝手な教育者達が、内申書作成と言う権力だけを受け継いでしまったのです。
後は教育の中身を、制度を、内申書を付けやすいように、またこの頃から実用化されつつあったコンピュータを利用しやすいように、マルバツ問題や、正解を一つだけ選ぶような出題にしていくのは時間の問題でした。決して児童生徒の為ではなく、あくまで自分自身が楽に仕事をこなす為でした。教師にとっては、成績は付けずらくとも理解させるためにある教育内容を、書類を書き易くするためだけの理由で、デジタル化したとも言えるのです。これがゆとりの教育の正体だと考えています。
日本中に出来たプーとニートの製造大学
義務教育の普及率は世界有数の先進国ですが、内容の理解度ははたして先進国と言えるでしょうか。かっては多分一番でしたが。今では高校も100%進学出来るのですが。
例え分数の計算が出来なくとも、、例え日本とアメリカが戦争をしたことを知らなくとも、、義務教育の中学で習ったことが全く理解できていない高校生が、日本中に大勢いるのです。勿論彼等は高校で習うことなど、チンプンカンプンで、解りっこないのです。ですからつまらなくなって相当数が退学してしまいます。
まあ解らなくて辞めるわけですから別に当たり前のことで、何も問題はないのです。彼等にしたって理解できない勉強に三年間も費やすのは時間の無駄でしか有りません。それぞれが活躍できる得意分野を捜しだし、新天地を求めれば良いのです。
問題なのは理解も出来ず、退学もしない生徒達なのです。これが一番多いのですが。もともと中学の課程を理解していないのが高校生になれるのも、おかしな話ですが、更に高校課程を理解した者がなるはずの大学生にまでなってしまうのです。
結果的に分数計算も第二次世界大戦も知らない、みっともない大学生がぞろぞろと、巷を徘徊することになったのです。こんな連中でも卒業出来るような大学が、日本中に河原の石ころのように、ゴロゴロとあるのです。
そしてそんな彼等を、大卒として、エリート候補として迎え入れてしまった企業や社会の末路、未来は誰が見ても明白でしょう。
こうして内申偏重世代が一定の数を超えた時、人間としての感性である、明日の希望に基づく行動や作品よりも、動物としての本能である、今の快楽、快適をイメージした行動、作品が持てはやされ、流行ることになります。
簡単に言えば、明日の希望のために、今我慢する、など、理解できない動物的な人間が増えてきた、と言うことになるのです。
文化芸術分野で言えば、静かで平和な部分が、切り捨てられます。静かな部分があればこそ、次に来る盛り上がり部分が、一層期待でき、その楽しさも倍増するのです。がしかし、、我慢して待つことが出来ませんから、最初から最後まで、盛り上がりばかりの作品が、受けることになります。結果として、極端にうるさかったり、ケバケバしかったりと言うことになります。
衣料、日用品、等では製品の善し悪しの判断が付きませんから、頼りはブランドだけ。ぺらぺらな安物コート等でも、ブランドさえ付いていれば、膨大な金額で購入します。ヨーロピアンブランドなどが膨大な利益を上げるのです。つまり日本人はカモになります。
そして飽きっぽい人ばかりになるわけですから、じっくり観賞したり、愛着を持って着用する人など殆どいません。アッという間にすたれてしまい、すぐ次の流行に飛び乗ることになります。これは男女の関係も同じです。うるさくてケバケバしい歌やファッションが町中に溢れるのです。
またこの事の反動で逆の勢力も一部台頭します。いつの時代も反対勢力と言うのは有るのです。まあ前者が野生派とすれば、こちらは知性派と言う事になるのでしょうか。数は少ないのです。ただし年は食っていますが、大人には成りきれないのです。
この人達は頭のてっぺんから足の先まで、真っ黒か又は真っ白の格好を好み、口紅やマニュキアまで黒やグレーと言った無彩色になります。タンスの中は黒と白ばかりです。盛り上がりの全くない、平らな音楽を聞き流し、高学歴でありながらプライドが高すぎて、親しい友人ができません。”年頃を過ぎるのでは”と思い込み焦ります。やたらに合コン等で出会いを求めますが、専門ばかりで教養が無いですから、他業種の人と会話が出来ません。ブランド品を見せびらかし、高価なシャンパンやキャビア等を並び立てても結局出会にはならないのです。
いろいろ書いてみましたがつまり、次第に両極端な人が多くなり、中間がいなくなってしまうのです。子供の時から考えることを止めてしまったため、洒落や粋を楽しむと言うことが出来なくなってしまったのです。洒落や粋とは、自分のポリシーや価値観で、多くの物事を程良くミックスさせて、テクニックや出来映えを競う、事だからなのです。
したがって落語や川柳、狂歌や都々逸と言った、洒落と粋、笑いと涙と人情、等を競う文化が衰退する事になります。極端な動作や、話、しか理解出来ない人が多くなってしまうからでしょう。言葉の微妙な洒落や、人情の機微など解らない人が多くなるからです。
そしてそれは内申書と言う紙切れが、反論封じ、と言う魔力を持ち、一人歩きを始めた時から始まったのでした。
映画、音楽、ファッション、さらに会食、晩餐にこの事が顕著に現れているのに気が付いたのは私一人では無いと思います。
この義務教育での内申書重視、先生に取って都合のいい子、が成績の良くなるようなシステム、内申書を人質に取られて、押さえつけられた子供達が、自ら考えることの出来る大人になる訳がありません。外国等と、ビジネスの競争など、出来るわけがないのです。時代に係わるような大流行などは絶対に作り出せません。
従ってあらゆる人々の、一番の関心事である経済問題は、”義務教育”に”今の内申書制度”が有る限り、解決されるはずはないのです。
内申書の成果、
このまま義務教育での内申重視が続けばどうなるか、私なりに予想してみます。
反論できずに子供時代を過ごすわけですから、個人としての価値観が形成されません。従って社会人になってから自己判断が出来ず、買うのも売るのも、あげるのも、何をするのも、周りの様子や顔色を伺ってから、と言うことになります。始めは親の顔色を、次は先生の、最後に、友人の顔色を、伺うのです。自分の意志などはありません。
その替わり協調性は良くなりますので、職場での波風は少なくなります。がしかし、仕事は取り合えず給料を貰うためにも、なんとかこなそうとしますが、良くて言われた通り、大抵半分ぐらいしかできません。なにしろ内申書用のマルバツ勉強しかしたことがありませんから。
結果的に企業の収益力は低くなり、国際競争に敗れる企業も数多く出てくるでしょう。
物事を考えると言うことを知りません。いつでも目の前にあるいくつかの、回答の中からしか選んだ事がありませんから、他の分野のことなどまるで解らないのです。
従って他の分野の人と話が出来なくなるのです。
物知らずと言うことを理解していればまだ良いのですが、周囲も皆同じ様な人ばかりなので、取り合えず会社の中では、普通の人と言うことになり、恥をかくことも無いのです。従ってろくな仕事が出来ない様な人でも、自分は一人前なんだ、と思い込みます。
まあ仕事もできない奴が、プロ意識だけを持ってしまうと言う結果になる訳です。プライドだけが異常に高くなり、従って謙虚さや向上心などは、全く見当たらない、部外者に取っては、まことに取っ付きずらい集団になるのです。
どんな人かと言うと、タイプとしては次のようになると思います。
人見知りをして、社交性は全く無いのに、少し親しくなると、妙に協調性がある。高価なグッズなどを持ったりするが、飽きっぽいので、ブランド品などを次々と買い漁る。しかも自分でこの事に気が付いていないので、指摘されて直ぐに怒り出す。プライドだけが突出して高いのが、この人達の最大の欠点、と言うことになるでしょう。
どう言うことになるか、と言うと、、、
自らの失敗は決して認めません、人から指摘されると、異常に腹を立て、興奮して、事の善悪などは解らなくなってしまいます。そのため一度決まったことは、他が反対すればするほど、ムキになって、実行してしまいます。こんな人が大部分になります。主に役所関係の仕事に、この傾向は顕著に現れるでしょう。おっかないでしょう。。。
しかし企業は何時の時代にも最適の人材を求めますから、日本人の新卒がこんな程度の人材で有れば、無理に募集しないでしょう。既に実社会で活躍している他企業の人をヘッドハンティングする事になります。無能な新卒は仕事をしないだけではなく、各種保証保険、福利厚生、有給休暇、ボーナス、あらゆる優遇措置が必要になるからです。その負担は本人と企業の折半ですから、企業の負担は膨大な物になります。無能な人間など絶対に雇えないのです。
その内日本企業であり、東京に本社があるのに、社内で日本語が通じない様な会社も、大相撲状態の会社が出現するのもまもなくのような気がします。
内申偏重時代でも、成績の良い人は、この程度で済むでしょう。何しろ彼等には、職場が、安定収入がありますので、生活が保障されていますから。しかしつまらない痴漢やストーカー事件で、些細な横領や機密漏洩事件などで、一生を棒に振るような人が相当増えるでしょう。欲望をセーブすると言うことだけは、物を考えない人には、できないからなのです。
しかし一番の社会問題は、落ちこぼれた青少年たちによる、治安の悪化でしょう。
なにしろ反論を許されず、先のこと、真の損得、などは考えたことが有りません。
我慢などしたことがありません。言葉すら知らないのですから。意見、価値観、などまるで無い訳ですから、善悪の区別などまったく付きません。
人を殺して金を奪っても、女性を襲って強姦しても、欲しい物を手に入れただけの事で、罪の意識など有りません。ライオンは目の前の人間を襲い空腹を満たしたとしても、罪の意識は持ちません。同じ事です。
ライオンが空腹な時に、前を通りかかったのが不運だっただけなのです。
こういう人達は、仲間内で協調性は有りますが、働いた事や学んだ事が無いので、人見知りをして社交性が有りません。やはり極端に飽きっぽいので、仕事などはまるで出来ません。欲望という目的の為には手段を選びません。正に犯罪予備軍と思って間違いは無いでしょう。
しかも多様化時代のこのごろ、顔つき、目つきを見て、まともじゃないな、と多少は解る事もありますが、殆ど見分けは無理なのです。まあ用心のしようがないと言うのが本当のところなのです。
内申書がそれ程重視されない1960年代までは、勉強の出来ない子は大勢いましたが、落ちこぼれは殆どいなかったのです。私もできない子でした。仲間には出来る子も大勢いて、日常は親しく一緒に遊び、一緒に学んだのです。出来る子には良く教わりましたがその関係は対等です。
今は、出来ない子は殆どいないのです。その替わり落ちこぼれになってしまいました。
かつて、出来ない子と出来る子は、対等につき合え、互いに自分に無い部分を見つけ、個性を尊重しあい、大人になっても、その友情は、変わりません。竹馬の友が増える訳ですから、人生にも厚みが増し、心豊かな日々になったのです。
しかし、今出来る子と、落ちこぼれは付き合えません。大きな溝があるのです。
自分に無い部分を他人の中に見付け出す事などは、できないのです。
なぜなら自分に何が足りないか、解らないからです。これを理解するためには、我慢してみなければならないからです。周りも親切に指摘でもしようものなら、たちまち差別したと言われますので、、忠告、や指摘ができません。ですから死んでも自分の欠点など解りません。我が儘で独り善がりな落ちこぼれになるだけなのです。
昔の出来ない子、は、答えは間違っても、理屈は解っていたのです。
自分には何が解っていて、何が解らないか。これも良く知っていました。
今の落ちこぼれは、”何が解らないか”、これが解らないのです。
さらに、今出来る子達は、解ることだけしか知らないのです。
解らないことに対して、なぜ解らないか、と疑問を持ちません。解る事の数が多ければ良いのですから、解らない事に時間を費やすよりも、解る事を一つでも増やす方が、内申書の成績を上げるには得になるのです。
つまり、先生に言われた通りに丸暗記しているだけなのです。
結局落ちこぼれた子と、今出来る子、の間に共通の会話は成り立ちません。
内申書等が偏重されるため、本来は出来る子のはずが、落ちこぼれてしまっている事も多いでしょう。
幼い時、他の子供がまだ、考えや意見など持っていなかった時に、ほんの少し疑問や、意見、主張を知った少し早熟な子供ほど、内申書と言う名の身勝手なえこひいきの洗礼を受ける事になるのです。
答えまでたどり着かずとも、自分で考えて少しずつでも前進させるような教育を受けた昔の子供達と、問題の後にいきなり答えを選ばせるような教育を受けている今の子供達の違いなのです。今のやり方の方が内申書を付けるのは、はるかに楽です。昔よりも。結局のところ学習方法まで押しつけてしまう、内申偏重の風潮は、落ちこぼれを増やすことになってしまうのです。
しかし落ちこぼれずに、無事に社会の上層部に入り、国や社会を動かすような立場に、こういう人が大勢いた場合、バブルと恐慌を繰り返すことになるでしょう。
理由は、判断力や、創作力が無いため、周囲の大勢が分かるまで、決断できず、経済の原則である、安いうちに買って、高いあいだに売ってしまう、と言うタイミングを逃してしまうのです。さらにプライドが高すぎるため、自分の非を認めませんが、人のアラは実に良く探し出します。
自己判断の出来ない、無責任な人間が、大勢集まれば、どんな事でも結論などはなかなか出ないでしょう。延々と小田原評定を続けるのです。
そして周囲につられて、要りもしない物や設備を購入してしまったり。
ちょっと好調になると、たちまち過剰生産、過剰購入、過剰投資、過剰ETC、となってしまうのです。これがバブルです。
そしてネズミ講のように、バブルも行き着くところまで行き着くと、後は破綻するだけなのですが、手当をするのもまた、周囲を見回して顔色を見てからになりますから、せっかく良く効くはずの特効薬も、タイミングがずれるのと、おっかなびっくり小出しにしますから、効果が出ず、いたずらに不況を長引かせることになります。
一番怖いのは、一般庶民の方も、独自の価値観判断力などは持ち合わせてはいないのですから、バブルの時あれ程要らない物を買い込んで、バブルの手助けをしていた人までが、一転して、絶対必要な物まで買い控えてしまうのです。周りの風潮に合わせてしまうのです。
この結果全国民を挙げて、不況を長引かせる行動を取ってしまうのです。
こうしてバブルと不況を繰り返している内に、その振幅は次第に大きくなり、他国をも巻き込み、連鎖倒産のような状況になってきます。最早、まともな政策対策では効果が期待できなくなります。否まともな政策対策が出来たとしても、と言い直しておきましょう。
カリスマを待ち望む気持ちが蔓延してきます。そしてこう言う時必ず、自らの失敗失政を他民族のせいにする輩が現れるのです。有史以来そうでした。この事に例外は一つもありません。この次だけが例外になる、等とは絶対に考えられません。
そして後はお定まりの、いつか来た道を歩かされる事になるのです。
戦争は嫌でしょう。。。。
子供には早く大人になるように、多くのことを平行して覚えていくように、大人を暴力でなく、議論でうち負かすように、、、
価値観を身に付け、生意気を奨励し、その上で社会に出すような教育、方向性にすれば
悲劇も、バブルも、恐慌も、ゼロになるとは言いませんが、少しはおとなしい柔らかな時代を迎えられると信じています。。。、
一見従順で善良な良い子は荒々しい時代を造り、一見悪そうで、理屈っぽく見える子供は、逆に穏やかな時代を造るのです。
いつまでも大人を追い越せない子供ばかりの社会には、明日が来ることはないのです。
,了、、、米澤徹