流行人間誕生
始めに。
多くの人は流行が好きです。とても気になるのです。今の流行は、今年の流行は、などと気にします。そして流行が気になる人ほど、歴史が嫌いなのです。逆に見てみましょう。歴史が好きな人は、流行をそれ程気にしないのです。気に入った服や靴等を、何年も、丁寧に身に付けたりしているのです。場合によっては修理してまで身に付けるのです。別にお金が無いわけではありません。流行が大好きな人は、流行遅れ、と言うだけの理由で、未だ何度も着ていない服などでも、捨ててしまったり、ほったらかしてしまい、存在すら忘れてしまいまいます。そしてさらに流行の物を買いあさるのです。別にお金持ちと言うわけではないのですが。
飽きてしまう人と、愛着を持ってしまう人の違いになるのです。しかしよく考えてみましょう、、、、流行と歴史は同じ物なのです。
歴史が流行を作る、と人は言いますが、私はそうは思いません。流行が歴史を作るのです。結果的には人間を作るのです。それは全て際限の無い欲望に向かっての前進であり、かつまた無意味な、倦み飽きる事、すなわち停滞、の繰り返しなのです。
そしてこの、前進と停滞の繰り返しが、経済活動を生み出すのです。ですから社会が、流行を煽れば煽るほど、歴史嫌い、つまり今の流行でなければ嫌、な人が増えて行く、と言うことになるのです。
昨日、去年、前の事、など忘れ去ってしまう人が大多数になってしまえば、愛着、習慣、友情、信頼、等と言う、年月を掛けて、築きあげる事は無くなるのです。今目立つ事、今欲求を満たす事、に重点が置かれ、目的のために長時間、準備や訓練をする事、あるいは相手をその気にさせる、努力などは、忘れ去られます。しかし昔の事など忘れ去っていても、今の流行が大きければ、お金は周り、経済的には潤うのでしょう。
ですから短期的に見れば、歴史などほじくり返して、なまじな教訓を得てしまうより、何も知らずに、目先の流行を追いかけていてくれた方が、都合の良い人が大勢いるのです。取り合えず物が売れるでしょう”。
しかし流行が人を作ると言うことは、当然自分にも当てはまることで、いきなりポッと今の自分が有るわけではないのです。生まれる以前、親達が子供の時から受けた影響を当然引き継いでいるのです。どのように育てられたか、いわゆる”育ち”の事になります。
ですから自分のことを、詳しく知りたければ、そして明日のために何を準備したらよいか、を知りたければ、過去の流行に目を向けるべきなのです。それが歴史です。
物や食料が溢れ、人々が富を手にする程に、流行の波も大きくなり、影響も大きくなり、影響される人も多くなります。流行の停滞は、戦争に匹敵するような損失をもたらしますが、大流行が始まれば、戦後の再建に匹敵する前進も、もたらすようになりました。つまり流行はかっての戦争のように、破壊と建設を引き起こすようになったのです。がしかし、、
流行の動機は、目立ちたい、
封建時代まで流行は、王侯貴族達や彼等をパトロンにした、芸人や音楽家、美術家、と言った、社会的には、ほんの一握りにすぎない、上流、支配階級、によって、意識的に作られてきました。なぜならば庶民は、衣服や音楽、食料、などに好み、嗜好をを言うほどの、ゆとりなど無かったのです。その為、飽きる、と言う感覚を知りませんでした。それだけ虐げられていたと言う証なのですが、その分支配階級の富は莫大で、常に、倦み飽きる、と言う感覚に陥っていたのです。
富める者ほど、倦み飽きる感覚は強くなるようです。
常に目新しい物、新鮮な物を求めていました。従ってその流行は、支配階級の、個人的な好みや必要性によって決ることが多く、その流行る範囲も、社会の頂点に近い部分に限定されていました。大多数の人々は流行などには関わりなく、日々生きて行く事のみの、生活を営むのが精一杯でした。
しかし産業革命が起こり、大量生産、大量販売、大量消費の時代を迎えると、様子が変わってきました。自分の屋敷と、銀行預金、株券などの、資産を持ち、事業を営んだり、サラリーマンだったりして、定収入の有る人々が出現したのです。このクラスの人を中産階級と言います。マイフェアレディや風と共に去りぬ、の主人公達です。今から見れば、限りなくお金持ち、上流に見える人達ですが、自ら肉体と頭脳の限りを使って、収入を得ている中産階級なのです。上流階級と言うのは、自分では働かないのです。
アスコット競馬に、カジュアルなフロックコート、アスコットタイ、で集う、男達、婦人達は、あらん限りの、贅を凝らした、ドレスで美とセンスを競います。風と共にも同じ事、優雅さを競うために、鯨の骨で作られたコルセットで体を締め付けます。今から見れば、限りなく上流階級に見える人達ですが、今で言えば、いわゆる自営業、とサラリーマン、の集まりなのです。決して、爵位や領地を持った人の集まりではありません。 豊かになれば、自己主張をしたくなる、
人類発生以来それまで、労働量は常に有り余っており、仕事が無く、日々の食料すら得られないような状態が、一般庶民、に取っては珍しくもない、ごく普通の事でした。定職が有り、生活の心配が無い様な人々は、極々少数派なのでした。しかし産業革命以降それは逆転したのです。結果として中産階級の誕生になり、支配階級=資産家と、被支配階級=資産を持たない人々、とで形成されていた、封建的身分制度、王制の時代を終わらせたのです。中産階級と言うのは、僅かばかりとは言え、自分の家と土地(貴族の領地に相当)を持っている人で、家の中では、世帯主は領主と同じ事になるのです。この中産階級の家や土地は、王様と言えども、勝手に取り上げることは出来ない、侵すべからずの聖域なのです。かって王侯貴族達は、自分の領地の中に、自分の物では無い、庶民の所有する、土地や家が有る、などと言うことは経験が有りませんでした。当然、当時の税体系では、その部分からは、税と称して土地や建物の小作料や使用料を取れないのです。そして中産階級が増えるに連れて、貴族達は収入が少なくなってしまい、生活に困る事になったのです。この時代以前、土地は全て領主の物だったのですが。
結果、領主達は、理由をこじつけては、新たな領地、と、税金と称する小作料を求めて、外国との戦争を繰り返したのです。が、、、
身分制度は経済の敵、
宗教革命、フランス革命、ナポレオンの動乱、普仏戦争と続くヨーロッパの動乱は、 イギリス以外のヨーロッパ本土を疲弊させ、せっかくの産業革命の利益を、アメリカに独り占めさせる結果になったのです。産業革命で儲かった利益を、戦争で使い果たした、と言えば解りやすいでしょう。何が不経済と言っても、戦争ほどの不経済はありません。正に経済活動の最終型と言われる理由なのです。チャンス到来、ヨーロッパ本土が産業革命の波に乗れないのを尻目に、アメリカは、目と鼻の先に迫った、アメリカ自身の産業革命の準備、を着々と行っていたのです。
隣接する強国が無いと言う事が大きな理由なのですが、別にもっと大きな理由がありました。何と言っても大きな理由は、、、
アメリカには身分制度が無かったことでしょう。 個人の自由も建国時から保証され、どこに住もうと、何を着ようと、何を飲うと、自由でした。これらのことはヨーロッパでは、全て規制があったのです。なかでも一番は言論の自由でしょう。自分の考えを自由に言える、他人の考えを自由に批判できる、自由に自己を主張できる、考えがバッティングして収集が付かない時には、多数決になるのです。多数決は自由のための、唯一絶対の条件なのです。
貧しき者達は数が命、
多数決、この考え方ほど資本主義社会に、都合の良い考え方は無いでしょう。アメリカが強くなるに連れて、数少ない大金持ちの好みより、多数の庶民の好み、が重要視されるようになります。
理由は商売になるからです。それまでの流行は、発信する貴族達も、受信する裕福な庶民達も、およそ商売にはならなかったのです。発信者の貴族達は大金を投じて、劇や歌や絵画やドレス等を作らせますが、手にするのはステータスと言う満足感だけでした。しかも必ずヒットするとは限りませんから、満足感すら手に入れられない事も、しょっちゅうでした。おまけに、ヒットしない場合、仲間の貴族達からは、馬鹿にされる事にまでなってしまうのです。当時全世界で唯一の、自由の国アメリカは、流行さえも商売に出来る、最初の国になったのです。
流行が作った経済成長、
憧れが作る隠れ流行、
歴史に登場する流行も、その時点でいきなり現れた訳では無いのです。必ず歴史的流行になる前、大抵は数年程度の、隠れ流行の期間が有りました。近くは女子高生のルーズソックス、古くは1960年代のピザやアイビールック、50年代のロック&ロール等々、必ずメディアに登場する数年前から、一部の若者達、によって愛好、愛用されていたのです。
ウエスタン音楽を母体にしたロック&ロールは、プレスリーの登場する二年ほど前から、アメリカ東部のハイスクールの、ファッショナブルな生徒達、の間でかなりなブームになっていました。
アイビースタイルは1964年に銀座の御幸族(みゆきぞく)で有名になりましたが、三年前の1961頃から大阪の服飾メーカーで発信され、大阪と東京のお洒落な高校生の間でブームになっていました。無論本家アメリカでは、1950年代から、アイビーリーグを中心にして、東部の大学生やその予備軍、プレップススクールの生徒達(プレッピー)の間で、既にブームになっていたのです。
ルーズソックスも平成2年にマスコミで大ブレークしましたが、実際はその二年前の昭和62年頃から、この年に高校生で有ったと言うことは、1971-74年生まれのお嬢さん達だった、と言うことになりますが、東京や横浜の女子高生の間で、特にお洒落な生徒達に愛用されていたのです。1947年生まれの私の目から見ても、何とも素敵、チャーミングなスタイルでした。鏡に向かって、自分を確認して、自分にとってルーズソックスが一番似合う事を、知っているお嬢さん達が、身に付けていたからです。
決して他の誰かが身に付けていたから、と言った競争心や、身に付けないと仲間はずれや、いじめに遭うと言った恐怖心で、買い求めた物では無かったのです。真にルーズソックスに価値観を見出した女生徒達だけの、流行だったのです。価値観を身に付けた女性達とも言えるでしょう。
ですから、端から見て感じるインパクトの割には、数は売れてはいないのです。
この、少ない数で大きなインパクト、これこそがお洒落の神髄なのです。しかしマスコミに取り上げられ、大ブレークしてからは、見るも無惨に変わりました。目を背けたくなるようなルーズソックススタイル、が多くなりました。何が目を背けたくさせるかは、想像して下さい。折からの女子高生売春(援助交際)問題とルーズソックスをドッキングさせて、週刊誌や、テレビでもセンセーショナルに報道し、散々に叩かれ、流行とは別の話題まで提供する羽目になったのです。丁度1964ー5年頃の、アイビースタイルと御幸族(みゆきぞく)の関係、と同じような扱いでした。しかしともかく関連業者は大儲けが出来たのでした。
隠れ流行は大流行のサイン、
この数年間の隠れ流行の期間は、発信者はまだ商売にならず、そのまま廃れてしまう可能性もあったのです。がしかし、受信者である若者達は、絶対数の少なさも手伝って、その物の特異性と、それを手に入れる事の、仲間内の連帯感、に満足感を共有し、なをかつ自分達は、他の一般の若者達より、優れたセンスの持ち主である、と言う優越感を手に入れる事が出来たのです。そして後の大流行の際には、自らが発信者の立場に成るわけです。場合によっては大儲けも可能な立場とも言えるのです。
他のどんな事物でも大流行の前段階として、数年程度、真に価値観を認めた若者達による、仲間内だけに通ずる、、ステータスシンボルとしての、愛用、愛好される期間が有ります。決して便利とか、買い得とかの理由ではないのです。
この時期の流行は、前世紀の流行と同じ結果しか生みません。提供者も愛好者達も、満足感と優越感だけを手に入れるのです。しかしその満足度と優越感は、大流行になってからのものより、遙かに大きいのです。
隠れ流行を知らない先生方、
そしてこの隠れ流行の段階を、実際に体験せずに、後になって学問研究で学んだ文化人達は、一部特殊な若者の特殊な文化、として簡単に触れるだけで、片づけてしまうのです。まあ簡単に言えば、隠れ流行の時から、その事に血道を上げているような人物は、世間からは遊び人、不良と見られる様な人々が殆どですから、およそ学問研究などとは、縁がなく、学者先生を職業にするような者は、いないのです。
若い頃はトレンドの最先端、遊びの達人だった人でも、長ずるに連れ、普通の人になってしまいます。
文化人、先生と言われている人は、長ずる前、青少年の時から、普通の人だっただけのことなのでしょう。
さらりとアイビースタイルを着こなす超かっこいい、若者、洒落たレストランを自分の部屋のように使いこなす粋な若者、ジャズメン顔負けの歌を歌うような若者や、雪山の王子様や、アーニーパイルのような写真を撮る若者でも、大人になれば、演歌を歌い、出っ張った腹でもできる唯一のスポーツ、ゴルフに汗を流し、デジカメやレンズフイルムで、家族を写すのです。
ダサイおじさん、オバサンと言われながら。。。
ポット出は直ぐ冷める、
この19世紀的隠れ流行の期間を経ずに、いきなり大流行するような事物は一過性で、後の世に何の影響も与えないのが特徴です。結果として歴史には残らないでしょう。数年程度は語られますが、結局忘れ去られるのです。
隠れ流行はいずれ消される、
このお試し期間的、仲間内ブームの間は、その流行は正に個性的で、ポリシーに溢れているのです。ですからこのまま世に出しても個性が強すぎ、ポリシーに共感出来ない、一般の人々には、決して受け入れられません。 そこで商売人が登場する事になります。彼等は個性をぼかし、ポリシーを薄めます。歴史に残る大流行になるか、お試し期間で終わってしまうかは、この時決定されるのです。このさじ加減こそが、一部の遊び人的、通人的若者と、一般の大多数の橋渡しとなるのです。
従って、お試し期間と、歴史的大流行の期間では、内容が微妙に、又はかなり、品質なりニュアンスなりに、違いがあるのです。がしかし歴史に記録されるのは、大流行になってからの方で、前世的お試し期間の方は、前節に書いた様に、記録には残りません。ですからその渦中に居た者のみが、個人的に記録し、伝承して行くより他はないのです。
私の考えではこの隠れ流行こそが、経済活動の原点だと思っています。しかし今さら学者先生にはなれませんから、個人的に周りの者へ伝える事になります。
若い内にしっかりとした価値観を身に付けて欲しいと考えるからです。
確実なのは、特定の人々の間の、共通の好みの時の方が、大流行になってしまった時のものより、遙かに個性的であり、上質感に溢れ、素敵だと言うことなのです。無論それを求める人間の方も、、、、、。
教養は文化の敵?
文化人と称する人々の事です。彼等は何でも知っているわけではないのです。その道の専門家なのです。問題は、自分が一番だ、と思う気持ちが異常に強い人達が多いと言うことでしょう。他人の知識や経験を絶対認めないのです。まるきり畑違いの学者とは比較的親しくなりますが、同分野の学者とは全く敵同士になるのです。立場が自分より下の者には、情けの施しをするのですが、優れた才能の学生などが、反論でもしようものなら、たちまちあら探し、モグラたたき、若しくは無視、と言うイジメが始まる事になります。
ですから自分の知らない世界を知っている素人など、絶対に許せないのです。
実際の体験者が、”あの時はこうだったのですよ、”等と言おうものなら、 ”そうなのですか、知りませんでした、”とは絶対に答へません。 自分は見てもいないのに、体験もしていないのに、 ”そうではなくて、こうなのですと、”必ず答えが返ってきます。実に不思議です。しかしこの事が歴史をねじ曲げる、根本の原因になってしまうのです。
リアルタイムに見聞した庶民の言うことよりも、学者の当て推量、が採用されてしまいます。ブランド志向の一番悪い面でしょう。
かつて大学は、学者と学生の共同研究機関の側面を持っていました。先生と議論する事に憧れて入学した人も多かったのです。現在では、そんなことを言う人は皆無になりました。先生は専門知識を切り売りし、学生はそれを詰め込むだけ。先生と議論になど、なろうものならどんな優れた意見でも、せいぜいC、場合によっては落第と言うことも。先生は隠れ流行など知らないのですから、隠れ流行が有りました、等と言おうものなら絶対にAはもらえないのです。あくまでも先生のメンツの問題になってしまうのです。
結果的に隠れ流行は消されてしまいます。